●編者による私たちの歴史の総括
編者 Zelda DT Sorianoより
私は昨年後半、Women’s Global Network for Reproductive Rights(WGNRR)のコーディネーション事務所(CO)に参加しました。そのときまでに、私は2007年前半に再編成されたばかりのコーディネーション事務所チームを見てきて、その一員として参加していました。コーディネーション事務所チームは、幅広い課題に組織的またはそれ以外の方法で取り組もうと、誠意と熱意を持って大変懸命に活動していました。私には状況は理解できました。コーディネーション事務所は近年、危機的状況にあり、たとえば、2004年には資金がなく、2006年にはコーディネーターが不在でした。スタッフの入れ替わりが激しく、組織としての記憶の蓄積ができず、国際的市民社会や女性運動のコミュニティの中での貴重な立場がなんとなく危うくなり、WGNRRの存在意義は何であるのかというアイデンティティの危機にも晒されました。
このような状況を覆して新たなはずみをつけるため、2007年以降、懸命な業務と創造性をつぎ込んでいろいろな努力がなされました。他のコーディネーターたちの間で、新しいメンバーシップについての方針が起草されました。また、地域コンサルテーション会議も組織されました。2008年度の行動の呼びかけ(Call for Action)は貢献してくれた会員によってキャンペーンがされてきました。きわめて重要な国際的イベントには、コーディネーターや他のコーディネーション事務所のプログラム担当者が参加しました。WGNRRの印刷物は、迅速に、かつ定期的に発行されました。WGNRRの公式ホームページは、より包括的で会員が理解しやすいように改訂中です。パソコン上での入会用ソフトウェアも開発中です。会員のデータベースも日々、毎週、毎月、更新されています。
それぞれの時期のコーディネーション事務所の中で、克服すべき内部の葛藤がありました。私たちは継続的にどんな課題についても相違する視点を議論し、解決策が見つかるまで、解決策について議論を戦わせ、時に叫びあったり泣いたり、ひどく非難し、傷つけることもあった。そして、同じテーブルに向かい、手続きを標準化し、プロトコールを作り、私たちのすべての部分やレベルや個人的、政治的側面での違いを認識しました。
すべての、そして、それぞれの努力は、私たちが、フェミニスト活動者や女性として、分かち合い共通して持つべき感じている動機や野心を追及することに向けてかみ合わされました。
しかし、私は、理事に導かれて、現在のコーディネーションオフィスの非常に重要な貢献が、WGNRRの25周年を祝福するこの努力であると思います。とりわけ、過去を掘り起こし、25年の歴史を書くことは重要です。
・・・・・つづく。
●WGNRRの25年史
Stephanie Bracken より
WGNRRが設立される前のことですが、国際避妊、中絶、不妊化キャンペーン(ICASC)があり、その起源は1977年にパリでのフェミニストで社会主義者に関心がある女性たちの国際会議にさかのぼります。ここからロンドン基点の中絶の権利を実現するための国際的な運動が育ちました。同じごろ、最初の2つの女と健康国際会議が(IWHMs)が1978と1979年にドイツで開催され、第3回の女と健康国際会議は、1981年にスイスで開催されました。1984年に、ICASCが『人口管理反対!女が決める!No to Population Control…Women decide!』というスローガンの下で第4回女と健康国際会議を組織し、そのとき初めて、アフリカ、アジア、ヨーロッパとラテンアメリカと世界中からの女性たちが集まり、経験や意見を交換することができました。話し合われた課題は、出産間隔を置くこと、リプロダクティブ・チョイス、安全な妊娠・出産、若者の妊娠、原理主義者や宗教的排外主義者たちの運動が女性の人生に及ぼす影響とさまざまでした。
つづく。
日本に関する記述部分
性と生殖に関する権利の中心として生殖が、女性たち再びただの産む機械の役割に限定しようとするおそれが、日本、インド、ラテンアメリカの会員からもっとも強力に主張されました。
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